悲報。
先日、掲載をお願いしていた「文芸同人誌案内」のひわきさんから掲載お断りのお知らせが来ました。
以下、メール内容(URL略)——————————————————————————–
(略) 理由としては、書いてゆく方向や表現に関する価値観があまりに異なると感じたからです。当HPは「老人雑誌」と揶揄されるような同人誌の集まりです。もちろん20代や30代の方もおられますが、文学に対するある程度の共通認識は存在すると思っています。 どちらが正しいとか優れているとかの問題ではありません。単なるカテゴリーの違いかと。大まかにでも分けられていればHPの特徴も出せますし、利用する方にも便利と考えます。個人でやっているので、そこは我が儘を言わせてもらうつもりです。 若い方々が集まって書いておられるのでお手伝いできればと思いましたが、このような結果になりすみません。
既にご存じでしょうが、6月10日に開催された「福岡ポエイチ」では若い方々がいろいろな表現をなさってますね。当方が知っている範囲では、「星屑書房」の「創星」や「何故?」など小説を掲載されています。
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(゜Д゜)
どうやら、先方を怒らせてしまったようです。
光の速さで①非礼を詫びる、②お互いの価値観を認め合う発言、③その上で今後も交流していきたい(純文学の価値観を教わりたい)という旨を送信しました。
これで駄目だったら、もう本当にごめんなさいorz
送信した後に、ちょっと泣きました。打たれ弱くてすみません。
■さきがけ文学ということ
もう何回この話をすればいいんかい!って話ですよね。
以前、鬼丸さんと「ラノベはありかなしか」で激論を交わしたことを思い出します。既に予見できていた話ですが、さきがけ文学はラノベ業界からも認められず、純文学からも認められないようです。寂しいよぅ、寂しいよぅ∵(ノД`)∵
私としては、私が信じる文芸を貫いているだけなので、さきがけ文学会を立ち上げて以降、様々なジャンルの文芸から否定とまでは言わないにしろ、訝しがる意見をぶつけられる事に戸惑いを隠せません。
「私が信じる文芸=さきがけ文学」
それだけがハッキリしている事なので、要するに「私が信じる文芸」とやらを客観的に説明できれば良い訳です。
■祖父の話からルーツをたどる
この話も何回するんかい!って話です。
先日、祖父が「さきがけ創刊号」を読んで、ポツリと「そうね、私ができなかった事を、ゆうやがするんね」と呟きました。私は、祖父のいう「私ができなかった事」というのを特に深く考えずに「そうよそうよ(´▽` )」と調子に乗って言っていたわけですが。
まあ、何も教わらずに背中を見ていただけと言えど、少なからず私は祖父の影響を受けた文芸人である事は間違いない訳で。(祖父が言う「俳句は身近であれ」は私もそう思う訳で)
祖父の文芸に対する価値観をたどれば、文芸の流派(?)もわかるのではないか、と思い、祖父の経歴をもう一度調べなおしてみました。
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昭和十一年 馬酔木誌に投句
昭和十二年 加藤かけい先生の指導を受る
昭和二十年 横山白虹先生の指導を受る
昭和六十二年 自鳴鐘 同人、現在に至る
(目黒じなむ「無量光」著者略歴より)
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あしび【馬酔木】俳句雑誌。昭和3年(1928)「破魔弓(はまゆみ)」を改題して創刊。水原秋桜子主宰。山口誓子・加藤楸邨(しゅうそん)・石田波郷らが参加。新興俳句運動の口火を切った。(国語辞典より)
かとうかけい【加藤かけい】俳人。名古屋生。少年の頃大須賀乙字に師事、その歿後は高浜虚子に師事。実兄加藤霞村と名古屋ホトトギス会を結成したが、その後離脱して「天狼」に参加、同人となり「荒星」「環礁」を主宰。句集に『夕焼』『浄瑠璃寺』などがある。昭和58年(1983)歿、83才。 (美術人名辞典より)
よこやまはくこう【横山白虹】俳人。東京の生まれ。本名、健夫。昭和2年(1927)より俳句雑誌「天の川」編集長を務め、同12年には「自鳴鐘(とけい)」を主宰して新興俳句運動を推し進めた。 (デジタル大辞泉より)
しんこうはいく【新興俳句】 1930年代に反伝統・反《ホトトギス》を旗印に,近代的抒情・感覚の発揚による表現様式の革新と,俳句形式による思想性・社会性の領略とを目ざした俳句近代化運動で,一時期を画した。(世界大百科事典より)
じーちゃん(゜ー゜)俳句会のテロリストやん。
※新興俳句:連作・無季俳句・反戦的ニヒリズムなど新しい発想・感覚による俳句を主張したが、同15年に始まった俳句弾圧により壊滅した。 (デジタル大辞林より)
じーちゃん(゜ー゜)滅ぼされとる・・・。
「私が信じる文芸」のキーワードは
・反伝統
・近代的抒情・感覚の発揚による表現様式の革新
・新しい発想・感覚
ああ、うん。そんな事を言ってるよ、確かに。うん。
100年近く続く反伝統なら、それはもう伝統では? あ、滅ぼされてるのか。
ひわきさん、メール返してくれるかなぁ・・・
もしかして;文学会のテロリスト
■「反伝統」ということ
上記のワードにたどり着いて、正直ドキリとする。
「伝統」という単語を意識させられたのは、城南高校文芸部の機関誌「晨鶏」49号で、当時副部長であった卯月碧が反省文で言及して以来だ。
今や10年以上続く編集法となった「晨鶏スタイル」は、47号続いた晨鶏の伝統を壊した上に成り立っている。
本当にそれで良かったのか。
その事に対し、卯月碧は「でも、この二年間ただがむしゃらに文芸部の発展だけを祈ってきたことだけは嘘ではありません。」と結んだ。
私は、卯月碧のこの言葉に、十数年もの長い年月、今もなお救われ続けている。
「馬酔木」が、「ホトトギス」を脅かしたように。
「晨鶏」が、「いさらゐ」を脅かしたように。
「さきがけ」は・・・?
思っていた以上に、さきがけ文学は過激な文芸だった。
そして孤独な文芸だ。
(・ω・`)
■やや過激な話
「反伝統」と聞いてラノベと直結する人もいるかもしれないが、はっきり言ってラノベは反伝統ではない。あれはよく売れる絵本だ。絵本は大人しく児童書の欄に並ぶべき。
別に絵本作家を非難している訳ではない。「つみきの家」は映画がアカデミー短編賞を受賞した。絵本は絵本という世界で切磋琢磨している。
絵本は絵本の、オペラはオペラの世界があるように、ラノベはラノベの世界がある。だからラノベが文学の世界に対し革命を起こす必要はない。文芸の枠を外れ、与えられた世界で存分に楽しむのが一番いい。
しかし、私たちにはまだ世界がない。私たちの居る世界はあくまで「文芸」の世界だからだ。そして、文芸の頂点には「純文学」が君臨し、幅をきかせている。老人文芸と揶揄されてもなお、絶対的に揺らがないトップが。
彼らは老人文芸ではない、文章美を突き詰める事に価値を置く芸術家だ。そして私たちもまた、芸術家だ。そして、私たちは文芸の土地に生まれたばかりの小鹿だ。さきがけを一歩外に出ると、どうやら戦場らしい。
(・ω・`)とりあえず、立てるぐらいの土地は確保せんとな。
反伝統だっていいじゃない。私たちはただ楽しく平和に生きていたいだけなのに。 みつわ。