2月20日に、福岡市文学館で行われた『赤煉瓦夜話vol.54』に参加してきました。
「文学を取材する目-新聞記者のつぶやき-」
講師:塚﨑謙太郎(西日本新聞文化部記者)
講師の塚﨑謙太郎さんは、以前にさきがけ文学会を記事として西日本新聞に掲載してくれた方で、純文学作家の樋脇由利子さんとも繋がりが深く、その樋脇さんからの勧めもあり、今回の講演会参加へと至りました。以下にその内容を報告させて頂きます。
塚﨑謙太郎という記者について
塚﨑さんは記者歴22年のベテラン(?)記者です。文化部の他にも社会部・報道部などの経験があり、文化部としての記者歴は総合して8年になります。
文化部って何?
文字通り、文化を扱う所です。素早さ命!の報道部とは違い、既にある内容等に別角度から触れることによって、文化の豊かさを提供しています。
現在の記者数は5名、それぞれ美術・音楽・文学・考古学・フリーの記者がおり、塚﨑さんはフリーの記者です。また、塚﨑さんは記者と同時にデスクとしても活動しています。
デスクって何?
記者の書いた記事を見直し、訂正させている人たちの事です。
塚﨑さんが語る同人誌の話
(1)2007年、初めて文芸同人誌に触れる
:詩人・丸山豊が「粗末ではあるが真面目な仕事部屋を建てよう」と立ち上げた詩誌「母音」が、(今も続いていれば)創刊から60年経つのを記念した記事でかかわったのが契機。
文化部では「創刊から○○年!」のようなあおりがないと記事が書けないらしく、そのことに塚﨑さんは苦言を呈していた。
だが、記事として関わっていく大量発行する訳でもなく、きついきついと言いながら文芸同人誌を発行し続ける作家たちの存在に興味を持ち、その後、文化部の中でも文学を中心に記事を書き始める。
※なお、詩誌「母音」は1956年24号をもって終刊した。理由として、創刊主の丸山が会費を徴収せず、飲食費に至るまで自己負担していたこと、 同人間に漂い始めた違和感を解消しようとはしなかったことが考えられている。
(2) 連載記事「九州同人誌探訪」
上記を契機に立ち上げた連載企画。16回にわたって九州中の同人作家さんを訪問する。(その全連載・全文記事は、樋脇由利子氏のHPにて掲載されている)。講演会ではその第7回が紹介された。
(第7回の大ざっぱな内容↓)
文芸同人作家として最も名誉ある賞は文芸春秋刊の「文學界」が選ぶ「同人雑誌優秀作」であり、2008年上半期、宮崎県の同人誌「龍舌蘭」の作家が選ばれた。
しかし、龍舌蘭は1937年に創刊し、今も続いているにも関わらず、後継者不足に悩んでいる。長く・名を成した事がときに敷居を高く感じさせ、新規同人獲得の障害にもなっているのだという。
発行人の同人作家(90)は「がらっといっぺん崩れて、新しい人が集まって、また始めてもいい」という。
「何かの縛りを断ち切ろうとするのがもともとの文学の塊であり、欲望。天然記念物になるくらいならば、そうあるべきなのです」
(3)同人誌「午前」編集者・青海静雄さんの話
さきがけでも度々話題になった青海静雄さんから最終号となる「午前93号」を受け取っていた塚﨑さんは、最初、パラパラと読むだけで編集後記には気付かず、知人に指摘されて慌てて青海さんへの取材を取り付けた。
取材を行ったのは2013年4月11日、青海さんは3日後の4月14日に亡くなる。
余命1ヶ月との宣告後、書きかけの小説を仕上げ、午前を廃刊させた。なぜそのような事をしたのか、質問は沢山あったのに…と塚﨑さんは語り、もっと早く知り合っていれば、もっと早く取材していれば良かったと語った。
なお、この青海静雄さんの元で10年書き続けていた納富泰子さんは、現在・樋脇さんの同人「KOKO」で小説を時々寄せている。
以下、青海さんの編集後記
「地方でそれぞれの職につき家族をかかえている同人達に、職を投げ出して文学に熱中せよというのは愚かなことだ。そうすれば同人雑誌とはやっぱり…」(1979年)
「同人誌が精神的なゲートボールのグラウンドになってはいないか」(1985年)
「同人誌の作家は、えらい作家とはいえないかもしれないが、その純粋度においては本物だろう」(2005年)
「同人誌でこつこつと小説を書いて行くという流れは、どういう理由か分からぬが、と絶えたようだ」
「本当の小説はもう消失するのではと、そんな思いが浮かぶ今日この頃だ」(2012年)
(4)若者の同人誌について
近年の文芸同人活動として『文学フリマ』『福岡ポエトリ』が紹介され、代表誌として「創星」「福岡ポエトリ」「蘖」が紹介される(!)
ただ、創星も一緒だったのもあり「絵や漫画も一緒になっていますが…」と紹介に付け足されたのが辛かった。
講演会後、塚﨑さんにご挨拶
塚﨑さんに「今回はご紹介有難う御座いました」とご挨拶しました。塚﨑さんは、私がさきがけ文学会のゆうやだとは気付いていなかった模様。サービス抜きでさきがけを紹介して貰えて光栄です(´▽` )
講演会後、樋脇さんにご挨拶
塚﨑さんに「あちらに樋脇さんがいますよ」と紹介を受け、初めて樋脇さんと面と向かってご挨拶しました(゜Д゜*) 樋脇さんからも「今日、来てくれてるかな?と思っていたので良かったです」と言われ、穏やかなやりとりをしました。向こうもきつい事をいったという自覚はあった模様で、さきがけ文学会が好意的(?)に交流を継続したがっているという事実に驚いていました。
でも「こちらこそ宜しくお願いします」と笑顔で言って貰えましたよ!
やっぱり「私たちは所詮老人文芸ですから」と言われました。何て返せば良いのか分からなかったので「そんなことないですよー(^^)」と言いましたが、本当に何て返せばよかったのだろう…。
感想
若者(?)と思しき30代以下は私を含めて3人ほどしか見られなかった。他9割以上が50代以上、半数以上が80歳を超えていそうな、いわゆる「高齢者」たちだった。
平日(しかも木曜)の17時からやってるせいだよ!若者は仕事だって!と突っ込みたい。
今回、参考にされた新聞記事に、若者こそ読んで欲しい文章もあった為、余計に悔しい。
自分たちの名前が紹介されて嬉しかったが、星屑書房さんや福岡ポエトリさんは、ここで紹介された事実を知らないのだろうと思うと、更に勿体なく思う。
若者の文芸同人離れを、私はただの活字離れだけだとは思わない。
文芸を志す者は、高尚なものか、お金になる作品をかけるものだけだと思い込ませている精神的な理由。
そして、一番はお金! お金が無いんだって!!
文芸誌発行にそもそも大金がかかり、同人会費で集めようと思えば10,000円は余裕で超えてしまう。それより削ろうと思えば、発行人が苦しむ。
けれども、私たちのサークルですら、正社員は2/3しか居ない。学生でない社会人が正規雇用につけない深刻な問題を前に、文芸活動を行うには、集金方法=売上を考えなければやっていけない。
正社員にもつけず、かつ文芸同人活動をしたい。更に売上まで考えずに居れるのはお金持ちの子どもか、製本レベルを下げた者だけだ。
製本レベルの低さは、作品の完成度イメージを下げさせる。未熟な若手同人作家の作品ともなればなおさらだ。生まれながらにしての天才など奇跡に近いのだから。
文芸同人作家たちが奇跡の存在でも、たまたま金持ちの子に産まれた奇跡の子でもないのなら、経済的な問題と闘わずして継続などあり得ない。
若者たちは今を生きるだけでも必死なのだから、後継者不足だ。勝手に壊しに来てくれないかと高みからため息をつくぐらいなら、私たちの見える所にエロ本を落としてくれていたように、私たちの見える所にヒントを落としていってほしい。
え?私の仕事? やだなぁ
それはさておき、塚﨑さんの新聞記事を読んで、思っていたよりも文芸同人作家さんたちがこちら側へ歩み寄りを始めている事が分かって良かった。
純文学作家たちは、私たちを「違うもの」「本物でないもの」として見ているのは伝わってくるが、文芸同人誌に対する姿勢は、私たちと何が違うのだろうか?と疑問に思うぐらい酷似していた。
また、全てを壊して一からやり直してくれればいいという発言は、かつて私が10歳後輩の城南高校文芸部の後輩へと残した言葉であり、深く共感する事でもあった。
ああ、それでも私は、もし城南高校文芸部の後輩達が、漫画絵満載の小説本を作れば発狂するだろうな。
それでもいいのかもしれない。楽しんでいればいい。今を一生懸命生きて、それを文字として表現する力さえあれば、文学は生きていけるのかもしれない。
ここまで似ていて、どうして分かり合えないのだろうか。
純文学側からくる区別というか、シャットダウンされている感覚に、再び疑問を抱いた。
色々と、まとめていただき、ありがとうございます! 時代の遷移というのは、どの業界でも同じなのでしょうか。新しい方向へと突き進んでいます。残念なことに、本と言うカバーからiPadでも読める小説もあります。いつか、本棚という概念がなくなるのもそう遅くないのかもしれません。ただ、読めればいい? 違うでしょう。紙の手触りがあってこその芸術品。それが本としての在り方だと思います。 しかし、ユーヤ先輩のおっしゃる通り、文芸同人誌の本の扱いは手厳しいです。 私ももっと見方を変えて、作品だけでなく、本の価値観を見れればと思います。 駄文となり、申し訳ございません。